今のままで、百貨店は将来存在するのだろうか。そんな強烈な危機感から、百貨店の現状分析と提言を行っています。百貨店はチェーンストア理論に振り回されたのではないか。百貨店と量販店とは根本的に何が違うのか。大量生産のスケールメリットを訴求するのが量販店なら、百貨店はクオリティを訴求して欲しい。日本のプライドを表現して欲しいと思っています。 目 次1.百貨店はなぜ不振に陥ったのか?1-1.日本から百貨店が消えても良いか?1-2.百貨店のルーツを考えよう1-3.地価下落と不採算地方店1-4.サプライチェーン全体の高コスト体質1-5.価格信頼性低下1-6.不完全なシステム連携と顧客管理1-7.三重雇用の派遣販売員1-8.集客装置の陳腐化1-9.法人需要の減少と外商部縮小2.百貨店再生のためのコンセプト2-1.アンチ・チェーンストアの時代2-2.百貨店を検索可能にする2-3.自主販売が百貨店活性化の第一歩2-4.半年に一度、百貨店はテーマを更新する2-5.日本のプライドを表現する2-6.店長は「キュレーター」であるべし2-7.一貨店を100創る3.こうすれば百貨店は売れるようになる3-1.リニューアルだけで顧客は戻らない3-2.月刊○○百貨店の発行3-3.店頭には楽しいことがある3-4.あなたを待ってる人がいる3-5.売場と商品の分類を見直す3-6.『雑貨力』をつける3-7.シニアの感情を動かす3-8.ブランディングとクリック&モルタル3-9.「百貨店セレクション」というPBあとがき「百貨店て何だ?」(本書より) 百貨店の将来について考えてみたい。 その前に、百貨店は我々にとって必要なのか。それともなくなってもいいのか。存在意義がないのならば、将来を考える必要はない。 2012年現在、我々の生活において、百貨店が消えても困ることはないだろう。「気がつけば、何年も百貨店に行っていない」という人も珍しくないはずだ。それで何の支障もなく生活しているのだから、百貨店がなくなってもすぐに困ることはない。 それなら、「日本から百貨店の灯が完全に消えてもいいのか」と聞かれると、「もう少し考えさせてくれ」と言いたくなる。 たとえば、現代人はきものをほとんど着用しない。洋服だけで生活に支障はない。それでも「日本からきものをなくしていいのか」と問われれば、「なくしてはならない」と答えるだろう。きものには、日本の文化が凝縮されている。それを失くすことは、日本人のルーツを失うような喪失感を感じる。きものに経済的必然性はなくても、文化的な必然性はある。 私は、百貨店に対して、きものほどの文化的必然性は感じないが、それでも古き良き時代の日本を象徴しているように思う。市場原理によって競争に破れ、特定の業態が姿を消すことは必然である。それでも、百貨店の将来について考えてみたいと思う。私にとって、百貨店とはそんな存在だ。